良くも悪くも「普通」に、順調に生きてきた。大学入学までは。
小学校を卒業後は、中学受験をし高校までエスカレーター式で進んだ。大きな挫折をすることはなく、敷かれたレールの上を歩くような感覚だった。
ところが次はいよいよ大学受験に精を出すのみと言った時期の高校3年生の時、思いもよらぬ大病を患い、休学を余儀なくされてしまった。
その後、1年の闘病生活を何とか乗り切り、復学し、同級生と2年遅れで大学に進学することになる。
「こんなはずじゃない」環境への違和感と、その向こうに見たたもの
今でこそ、2浪など珍しくないのかもしれない。また、どうしても入りたい大学などがある人にとっては2年遅れだって入学すれば喜ばしいことだろう。
しかし、これまで「普通に」人生を歩んできた私にとって、2年遅れの入学に感じる違和感は大きかった。
当然ながら、周り間みんな年下で以前は後輩だった人たちだ。さらには病気を患う以前は東京の大学を志望していたが、体調を考慮し自宅から通える学校へ進学することになった。
「この人たちと私は、もともも志すものが違うのだ」
正直、だいぶ上から目線だったように思う。当然周りとは常に壁があるように感じていた。いや、自分自身が作っていたのかもしれない。「こんなはずじゃなかった」思い描いていたキャンパスライフから程遠い大学生活が始まった。
そんな大学生活を変える小さなきっかけが訪れる。
それは、必修科目のグループ学習がある実験の授業の時のことだった。
グループはランダムに組まれており、否応なしに協力しないとできないし、さらには前期の授業の間中一緒にやることになる。次第に打ち解け、学外でも会うようになり、絆を深めていくことになった。
その授業をきっかけに、最初は分からなかったそれぞれのメンバーのさまざまな事情を知り、私の入学までの過程も初めて同級生たちに話した。
入学以来私は、自分以外の学生を「普通の人」、自分は「みんなとは違う人」と特別化することで、2年遅れでしか入学できなかった悔しさや、年下が同級生であることの違和感などを誤魔化していた。
しかしお互いを知り合うことで、誰もがさまざまな事情や過去を抱えていたり、誰しも大なり小なり悩みを抱えて生きていることを知る。私の中で自分を変に特別かする気持ちはいつの間にか消えていった。
生まれてから病気を患うまで、同じような生活環境や生活レベルの人と付き合い、大きな困難にぶつかってこなかった。それを「普通」だと思っていた。しかし自分自身が「普通」と思えない大学生活を始め、生きていくなかで大切な勉強以外の学びを得ることができた。
「普通」であるというレールを外れたたと思っていた。しかしそのことで「普通」などないと知ることができた。
世界が広がるほど「自分の常識」は通用しない。
私の進学した大学は、ミッション系の大学だった。学生をはじめ、先生方も海外の方も多く、さらには留学生の受け入れも盛んだったため、さまざまな国の人々で溢れていた。
だからこそ、コミュニケーションが難しかったり、「えっ、なぜ?」と思うようなことも日常茶飯事だった。
相手を理解するためには、忍耐と違うものを受け入れる力が必要不可決だったので、自然と視野が広がり、コミュニケーション能力の向上にも繋がった。
それまで私は、口数が多いほうではなかった。2年遅れの入学て周囲と壁を感じていたというのもある。それ以上にもともと「言わなくても分かってくれるだろう」「言葉にしなくても感情を慮るべきだろう」ということを常識かのように捉えていたからだ。
しかし、さまざまな国の人で溢れた大学生活のなかで自分の気持ちは口にしなければ理解してもらえないと言うことを身をもって知ることとなった。
私が常識だと思っていたものなど、広い世界の中では常識でもなんでもなかったのだ。
レールを外れたからこそ得たもの
当初は不本意だった大学生活。しかしそこで育まれた価値観や学びは今でもさまざまな場面で私を助け、支えていくれている。
自分が「普通」だと思い込んでいたたレールから外れたからこそ、得ることができた一生ものの財産だ。
[関連する書籍話題]
recommended by New Me
絶対音感を持ちながら、一度はプロでの道をあきらめ、一般OLに。仕事を突き詰めすぎて体調を崩し、引きこもり生活を経験した彼女。一度暗闇に落ちた経験を持つ彼女だからこそわかる、心から笑える笑顔の見つけ方のお話しです。